玉本奈々の作品について
玉本奈々の作品をみていると、人の存在を強く感じる。もちろん、作品は、人が生み出すものだから、多くは作家の人間性が現れる。
あるいは作家のテーマそのものが“人間 ”という場合もある。玉本もテーマは“人間 ”である。ときにユーモラスに、ときに重く、人間の内面を映し出した作品を作る。
例えば、「永眠」(2001年制作)は、 玉本が祖母の死を悼み、一気に描いた作品だ。輝くような銀色の中に、鮮やかな赤い形態がぽっと浮かんでいるように描かれている。よくみると、大きさも色もさまざまな布や羊毛、ガーゼなどが縫い付けられ、油彩やアクリル絵具で着色されている。 完全な抽象というより、具体的な何か−人の細胞、宇宙の元素、あるいは魂のようなものを描いているようにみえる。
色も、形も、技術も、全てが至妙というわけではない。 むしろ激しく自己の内面を剥き出したようにみえるもの あるいは素朴さを感じるものも多い。しかし、そうしたものを感じさせる、いびつな形や毒々しいほどの色、独特のマチエール一つひとつが 眼を通し、心に入ってくると、結晶のように澄み、重なり合う命のざわめきのように感じられる。
玉本は美術大学を卒業後、アパレルメーカーでの勤務を経て、2000年から本格的に制作活動を始めた。 病気が原因での転機だったが、自分を見つめ、生を見つめ、作品に向かうことになった。作品数は決して多い方ではない。 しかし、「ニョ体」、「み」、「くされ縁」、「迷宮」、「慈悲」、「私欲」、「情」など、自身の病気や家族への想い、生への執着と、一点ごとに異なる、彼女の中の意味、必然性があって生まれている。
現代の日本において、“人間 ” を直視し、自己の表現を貫こうとしている作家は珍しい。なぜなら、私たちのまわりには、多くのものがあふれている。全てが選択肢となって、私たちを取り囲んでいるように思える。心地よいもの、楽しいもの、かっこいいものが、今にも手に入るような気がして、手を伸ばす。けれども、本当に必要なものは何か、と問われて、大切なもの一つひとつと純粋に向き合うことができるだろうか。選択肢ではなく、拒絶ではなく、真っ向から、人間を、自分を、直視することができるだろうか。
玉本の作品には、伝えたい何かがある。それは、誰もが夢想し、欲にかられ、固執する現実の中で、自身と向き合い、自らの中から削りだすように生み出したものだ。それが、この時代において、稀有な魅力として、人をとらえるのだと思う。
今回の展覧会は、江戸、明治時代の遺構を残した豪農の館(内山邸)・薬種商の館(金岡邸)を会場にして行われる。祖母の家が大きな農家だったこともあり、日本の古い民家に人の営みやつながりを感じる玉本の強い意向から、実現することとなった。
この会場に展示される新作の「心眼」と「千里眼」とは、眼には見えない何かを見通すことの出来る眼のことである。二つの異なるまなこを見開き、玉本は何を見ようとしているのだろうか。「大切なのは、濁らないこと」と玉本は言う。作品も、人も、世界も、大きなつながりの中で、澄んだ眼で、とらえようとする玉本の試みに注目したいと思う。
富山県立近代美術館 学芸員
麻生 恵子
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